第505回 私がさびしいときに
平成14年 9月26日〜
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
金子みすずさんに、こんな歌があります。
私がさびしいときに、よその人は知らないの。
私がさびしいときに、お友だちは笑うの。
私がさびしいときに、お母さんはやさしいの。
私がさびしいときに、仏さまはさびしいの。
という歌です。
まったくの他人は、私の気持ちなど、分かって
くれないものです。
それでも友達は、すこしは気持ちを察してくれて、
もり立てようと、明くる振る舞ってくれることは有り難いものですが、
本当のところは、なかなか通じないものです。
肉親は、様子が違うのを察して、優しく接してくれるものの、
その悩みを根本的に解決することは、出来ないものです。
それに対して、仏さまはこの私と同じに、共に悩み共に
悲しんで頂くのです。
私が訴える前に、仏さまは、ちゃんと知っておいでで、
共に悲しみ苦しんで頂くのです。
でも、そのことをこの私は知らないのです。
私がさびしい以上に、仏さまはさびしく、もっとつらく
悲しいでおられるのに、私たちは気づかず無関心でいます。
仏さまのお気持ちは、仏さまの働きは、お聴聞することで、
味わわせていただけるもの。
私たちが、自分のことだけを考え、自己中心であること、
仏さまの願と違った方向へ進んでいることを、悲しんで
おられるのです。
いつもいつも仏さまは呼びかけておられるのにそれに
気づかず、答えることもなく、勝手気ままな、わがままな
行動をしているのが私たちのようです。
お彼岸、お盆、お正月。季節の節目節目にお墓や
納骨堂へお参りして、お掃除をし、お花をかえて、
手を合わし、生きている側の希望や期待を述べる
だけでは、何か違うように感じます。
お浄土に先に生まれられた方々の願を、しっかりと
聞き取ることを忘れているようです。
ご先祖さまは、お釈迦さまや親鸞聖人と同じように、
阿弥陀如来の願を聞き、南无阿弥陀仏を口にする、
喜び多い人生を歩んで下さいと、いつもいつも
呼びかけておられるのです。
その呼び声を、はっきりとお聴聞させていただきたいものです。
私がさびしいときに、仏さまもさびしいのです。
阿弥陀さまの願、南无阿弥陀仏を口にすることで、
悩み苦しみの根本から断ち切っていただけるのです。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、10月3日に新しい内容に変わります。
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