第501回 しあわせ
平成14年 8月29日 〜
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私たちがよく使う漢字は、仏教の用語から来ているものが
多くあります。
安楽、演説、有無、自然、慈悲などお経にある漢字が
そのまま使われています。
ところで、私たちは幸福という字をよく使います。
コウフクと読んだり、シアワセと読んだりしますが、
この幸福という字は、実はお経の中には無い言葉です。
最も仏教的な言葉のように思えるこの幸福は、
何故お経の中にないのか。
幸福の幸は「しあわせ」と読んでいますが、山の幸、
海の幸というように、獲物の意味もあります。
ですから、幸福というと、獲物が多く手に入る状態のことを
喜ぶ言葉のように聞こえます。
そこで、仏教の言葉としては、幸福という言葉は、
使われていないのではないかと、いうのです。
では、シアワセと言う言葉は、どういう字を使ったら
よいのでしょうか。
司馬遼太郎という方は、シアワセを「仕合わせ」と
書いておられるそうです。
仕える人に合う。仰ぐ人を通して、その人が仰いでいる
真実の教えに遇う。その時はじめて「仕合わせ」と
いえるのでしょう。
そして、「仕合わせ」は「仕合」と言う言葉はよく似ています。
山本仏骨先生は、よく若者の前で相撲の話を
されたそうです。
「横綱と百ぺん相撲しても、諸君は一度でも勝てると思うか」
「・・・・・」
「阿弥陀さんと智慧くらべをするな、負けて本願に帰せ」と、
そして、山本先生の師匠である、利井鮮妙和上は、
蓮如上人御一代記聞書の160番目の言葉で教えて
いただいているそうです。
その内容を、現代語訳で紹介しますと、
「概して人には、他人に負けたくないと思う心がある。
世間では、この心によって懸命に学び、物事に
熟達するのである。
だが、仏法では無我が説かれるからには、われこそが
という思いもなく、人に負けて、信心を得るものである。
正しい道理を心得て、我執を退けるのは、仏のお慈悲の
はたらきであると、蓮如上人は仰せになりました。」
仏法においては、「仕合に負けて、仕合わせになる」のである。
近ごろは、人にはおとるまじと思う人が多すぎるのでは
ないでしょうか。
阿弥陀さまに負けてはじめて信心を得るということでしょう。
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次回は、9月5日に新しい内容に変わります。
宗報2002年8月号 利井明弘師
遺芳はんすう記 聞名の功徳から、その一部を借用しました。
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