第491回 待っているよ

 平成14年 6月 20日〜

妙念寺電話サービスお電話有り難うございます。

浄土真宗は、お念仏の人はお浄土に誕生すると信じる教えです。
阿弥陀さまのお浄土に待たれているということをいいます。
私たちは、待たれているというと、お客様として待たれているように
思います。


ところがそうではなく、一緒にすべての人を救うという仕事をしてほしい。
共に働く仲間として待っているとの呼びかけに聞こえます。
今、就職が難しい就職難だと言われます。


ところが、阿弥陀さまは、あなたじゃ無ければだめじゃ。
貴方と一緒に仕事をしたい。
手伝ってほしい。他の人ではだめ、南无阿弥陀仏と口にしている貴方
じゃなければ、役にはたたぬ。


貴方を待っている、急がなくてもいいので、早くきて一緒に働いて
欲しいと呼びかけてくださっているのです。


阿弥陀さまは、すべての人を救うとおっしゃっていますので、
そのお浄土は、小さな国ではありません。


すべての国のすべての人を救いたいという仏さまです。
お浄土の責任者です。


その阿弥陀さまが直々に、この私の耳元にきて、待っています。
お浄土に来て手伝ってほしい、一緒に働きましょうと。

呼びかけて下さるのです。

総理大臣が、わざわざ訪ねてきて、是非あなたの力を借りたい、
手伝ってほしいと言われると、きっと感動するでしょうが。


だが総理大臣というのは、日本という小さな一つの国の責任者です。
わずか一億人の人間の責任者です。

ところが、阿弥陀さまは日本人だけではなく、アメリカ人も、
イギリス人も、地球上のすべての人の事が心配で、そのすべてを
救いたいと言われる方です。


いや人間だけではなく、生きとし生けるものすべてのものを
何としても救わねばならぬと、働いておられる方です。


総理大臣よりも、大企業の社長さんよりも、誰よりも多くの人のことを
気にかけ心配して、責任を持って救おうという阿弥陀さまが、
南无阿弥陀仏を口にするこの私に名指しで、来てほしい浄土に
来て手伝ってほしい。


自分と同じ力を与える、自分と同じ能力を持たせるので、
すべての人のことを、救うために一緒になって働いてくださいと、
待たれているのです。


時々、電話で連絡があるのではなく、直接訪ねて来て、
私の耳元で、お浄土に来てくれ、待っているとささやいて
頂くのです。


南无阿弥陀仏のお名号となって、呼びかけてくださるのです。

頼りにされ、当てにされ、期待されている。
この私が待たれていると味わうと、何とも言えぬ喜びが
感じられるものです。

南无阿弥陀仏を口にする貴方は、待たれている、
阿弥陀さまにもっとも頼りにされているのです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
次回は、6月27日に新しい内容に変わります。

          

本願寺・りビング法話へ