第488回 優しさに気づくとき

 
平成14年5月30日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

学校を出て就職したばかりの若い方が、慣れない仕事に疲れて、
身体の調子が良くなく、熱を出し休んだときに、はじめて人様の
優しさに、思いやりに気づいたという文章に出会いました。

希望に燃え元気に動き回っているときには、なかなか周りの人びとの
思いやりが感じられず、見えてこないものです。


思いどおりに事が進まないとき、始めて周りの多くの人の心が
感じられるようになるものなのでしょう。


浄土真宗は、他力の教えです。

一般には、他力と言うと、自分は何もしないで、他人任せの
棚からボタモチの怠け心だと理解されているようです。
先日もデジタルカメラの新聞広告に、他力ではいけない、
他力から抜け出そうというような表現の広告が出されていたようです。   


自力、自分で努力することが良くて、他力、他人の力だけを
あてにする生活は良くないと、自力他力が一般には使われて
いるようです。


 確かに、自分で努力せず他の人の力だけをあてにするのは、
良いこととは言えません。


しかし、本人がどれだけ努力しても、本人の力だけでは、
どうすることも出来ないことが多いものです。


ことによると、自分の力だけで事がうまく運んだと思っていても、
知らないところで、多くの人びとの手伝い助力があって、
気づいていないことの方が多いのかも知れません。


調子が良く、思いどおりに物事が運んでいるときには、
周りの人の思いが、なかなか通じないものです。


ところが、何かのきっかけで、周りの人の思いやりに
気づいたとき、はじめて喜びが沸いてくるものです。


親切にして下さった方に直接出会えば、その場でお礼も
言えますが、直接お礼が言えない方も、たくさんあるものです。


多くの人びとに支えられ、助けられ生かされていると感じ、
味わえるとき、私たちの先輩たちは、仏さま、如来さまのお蔭と、
南无阿弥陀仏、南无阿弥陀仏とお念仏を口にしたのではないでしょうか。


優しさに、思いやりに気づいたとき感じたとき、喜びが味わえる、
それが南无阿弥陀仏の教えではないでしょうか。


自分以外の大きな多くの力に支えられている、
それに気づかせていただくのが、他力の教えでしょうか。    

南无阿弥陀仏のお念仏の言葉は、感謝の、お礼の言葉であり、
喜びを感じたときにも出てくる言葉です。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、6月6日に新しい内容に変わります。

          

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