第465回 スパイスのきいた人生

平成13年12月20日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

ところで、こんな質問を受けました。
宗教とはいったいどうして必要なんでしょうかねとの質問です。
お尋ねになった方が、お料理が得意のようなので、
こんなお答えをしました。


私たちは、毎日食事をしています。同じ食事をしていても、
それを喜んで食べている人と、何の感動も持たずに淡々と
たべている人。


あるいは、まずいと文句ばかり言いながらいやいや食べている
人もいます。


人生をこの料理に例えると、どんな人生が一番幸せなのでしょうか。

同じことなら、喜んで美味しく食べるに、こしたことはありません。
しかし、お世辞にも美味しいと言えない料理もあるものです。
立派な高価な材料を使った料理だとしても、どうももう一つ
美味しさに欠けることもあります。


人生も同じことではないかと思います。
回りから見れば、何不自由のない恵まれた生活、経済的にも
社会的にも何の問題もない生活でしょうが、何か一つ足りない
ものがある。
ちょうど高い材料を使って調理していながら、もうひとつ味わいの
少ない料理と共通するところがあるようです。


また、その料理の味も、ほんの少しのスパイスだけで、もっと
もっと美味しく、魅力的になるものもあります。


おそばにはワサビ、うどんには七味、そうめんにはショウガと、
同じめん類でも違いがあります。


それぞれの料理を引き立たせて、尚一層おいしくするものが
あるものです。それを、知っている人と知らない人。


人が薦めてくれるのに、大丈夫大丈夫と、いつもお醤油だけを
かけて食べているような生活を送っているのではないでしょうか。


同じ人生でも、ほんの一ひねりで見違える味わいが出るのに、
それを知らずに一生を終わって行く人も多いようです。


宗教とは、ことによると人生を経験し、さまざまな失敗や過ちを
犯した先輩たちが、同じ誤りをしないように、もっと喜びを感じる
生き方があることを、伝え教えようとしたものではないかと思います。


南无阿弥陀仏のお念仏を口にすることで、同じ人生でも、
一味違うすばらしい味が、味わえることを、先輩たちは祖先たちは、
私たちに伝えようとしているのではないかと感じます。

同じ人生ならば、美味しい人生を、喜び多い人生を、経験し
感動して生きていきたいものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、12月27日に新しい内容に変わります。


   

          

本願寺・りビング法話へ