第389回 善人と悪人

     平成12年 7月 6日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
この電話サービスの原稿は、インターネットに掲載して、ご紹介していますが、
そのインターネットに、高校生の方から質問が送られてきました。


歎異抄の中に、「善人なほもって往生をとぐいはんや悪人をや」とありますが、
その最後には、「善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと」あります。

この二つの言葉を、現代語で読むと、まったく同じように訳されていますが、
学校の仏教の試験で、その二つの言葉を比較しながら、悪人正機について
述べなさいと出題されています。

その違いは何ですかとの問い合わせなのです。


 図書館で調べるとか、誰かに聞きに行くのではなく、コンピュータに向かって
質問を打ち込み発信すると、答を教えてくれる人がいるという、まったく
素晴らしい時代になったものだと、感心しました。


ところで、その答えは、こんなことではないかと思います。

親鸞聖人の教えの特長は、1、本願回向、2、信心正因、3、現生正定聚、
4、往生即成仏、それに、5、悪人正機だといえましょう。


その中で悪人正機だけが、親鸞聖人の主著「教行信証」には、はっきりと
書かれておらず、この歎異抄にだけ明確な言葉で説かれているのです。


これは親鸞聖人の言葉のように言われますが、そのもとはお師匠さまの
法然上人の言葉であり、そのことは、法然上人の直弟子が残した書(醍醐本)
などによって明らかです。


しかし、法然上人は、悪人正機、善人傍機説であり、それは浄土宗各派にも
伝承されたと思われますが、親鸞聖人だけが、その教説をご自身の生涯を
通して生き抜き、その真実性を味わわれ、それが歎異抄の作者、唯円房へ、
そして現代へと、浄土真宗だけに正しく伝わっているのです。



 弥陀の本願は悪人が正機(めあて)であった、どのような修行も出来ない
煩悩具足の私には、この本願の他に救われる道はないと、親鸞聖人
ご自身の体験を通した、生きた言葉で、印象深く書き留められているのです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、7月13日に新しい内容に変わります。   


          

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