第379回 今遇うことができ

      平成121年 4月27日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

前回から、親鸞聖人がお書きいただいた教行信証・
現代語版の最初の部分をご紹介しておりますが、
今回は、その総序の後半部分です。

「 煩悩に汚れた世界を捨てて清らかなさとりの世界を
 願いながら行に迷い信に惑い、心が暗く知るところが
 少なく、罪が重くさわりが多いものは、とりわけ釈尊の
 お勧めを仰ぎ、必ずこのもっともすぐれたまことの道に
 帰して、ひとえにこの行につかえ、ただこの信を
 喜ぶがよい。


 ああ、この大いなる本願は、いくたび生を重ねても
 あえるものではなく、まことの信心はどれだけ時を
 経ても得ることはできない。思いがけずこの真実の
 行と真実の信を得たなら、遠く過去からの因縁を
 よろこべ。もしまた、このたび疑いの網におおわれたなら、
 もとのように果てしなく長い間迷い続けなければ
 ならないであろう。如来の本願の何とまことであることか。


 摂め取ってお捨てにならないという真実の仰せである。
 世に超えてたぐいまれな正しい法である。
 この本願のいわれを聞いて、疑いためらってはならない。


 ここに愚禿釈の親鸞は、よろこばしいことに、インド・西域
 の聖典、中国・日本の祖師方の解釈に、遇いがたいのに
 今遇うことができ、聞きがたいのにすでに聞くことができた。

 そしてこの真実の教・行・証の法を心から信じ、如来の
 恩徳の深いことを明らかに知った。そこで、聞かせて
 いただいたところをよろこび、得させていただいたところを
 たたえるのである。 」


このように、教行信証の現代語版に訳されています。

ああ、この大いなる本願は、いくたび生を重ねても
あえるものではなく、まことの信心はどれだけ時を
経ても得ることはできない。

思いがけずこの真実の行と真実の信を得たなら、
遠く過去からの因縁をよろこべ。・・・・とのお言葉に、
この真実の教えに遇えたことを喜びたと思います。


妙念寺電話サービス、お電話ありがとうございました。
次回は、五月四日に新しい内容に変わります。

ところで、妙念寺の前住職は、病気療養中でしたが、
去る四月二十五日午後、八十五歳でなくなりました。

みなさまには大変お世話になりました。
ありがとうございました。


                    

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