第368回 老少不定の

        平成12年 2月10日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
蓮如上人がお書き頂いたご文章の中に、白骨の章という、
皆さんよくご存じのご文章があります。


拝読するのが、お葬式も終わって、お寺に遺骨を持って
初めてお参りする、三日参りの時ですので、悲しい思い出
とともに、ご記憶の方も多いと思います。


そのご文章は 「 老少不定のさかいなれば・たれの人も・
はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかく
たのみまいらせて・念仏申すべきものなり、」と
結ばれています。


人の世のはかないことは、年齢に関係なく、お年よりにも
若いものにも、死は同じように訪れます。


ですから誰もみな、浄土往生というもっとも大事なことを
心にかけて、阿弥陀如来を深くたのみたてまつって、
念仏しなければなりませんと、お示し頂いています。



 先日も、46歳の若い方が、白血病で亡くなられました。
日頃元気で、仕事も大変成功し、順調そのもので、ご両親
ばかりでなく、友達や親戚の自慢の人物でした。


しかし、何十万人に一人という難病にかかられ、日本で
一番進んでいるという東京の病院で治療されたものの、
その甲斐なく亡くなられました。

テニスを楽しむスポーツマンで体格も良く、子供のころから
病気らしい病気もしない丈夫なお子さんが、親より先に
お浄土に逝かれて、お父さんお母さんの落胆された
お気持ちは言い尽くせません。


東京で生活しておいででしたが、佐賀の友達も多く、
突然のことにお友達もびっくりしておられ、49日にあわせて
お別れの会が開かれることになりました。


 46歳という短い人生でしたが、その一生は、周りの
人びとのことを思いやり、自分で出来ることは、精一杯
お世話なさったように聞きます。


ちょうどTVで、アメリカの黒人解放の指導者、キング牧師の
話をしていましたが、その演説の中に、自分が死んだら、
伝えてほしい。人のためだけに生きた一人の男がいたことを、
といった意味のことを放送していましたが、人のために自分で
出来ることを、力の限りやらしていただく生き方は、
 お念仏を口にしながらの力ずよい生き方と、共通するものが
あるようです。


恩徳讃の言葉に、骨を砕きても身を粉にしても謝すべしと
ありますが、自分に出来ることを、限られた時間一杯に努力
すること、それが最も人間らしい生き方だろうと思います。


46歳という短い人生でも、その努力の成果は、人びとの
心に残り、そして、これからは、仏様として、悩み苦しむ人を
救うために尚一層の活躍をして頂くのだろうと思います。



 亡き人が仏となって、現に今、働きかけて下さることを
味わえるような、お念仏の生活をさせていただきたいものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、2月17日に新しい内容に変わります。

  
                    

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