第346回  因果の道理は厳然

 

             平成11年9月9日〜15日まで

 妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

ところで、悲しい事件が近くで起きています。
長崎で母親がわが子を殺して,保険金を奪おうとしたと、
テレビでは繰り返し放送しています。

長崎,長崎、といいますが、実は佐賀県の女性が犯人
だというのは悲しいことです。

母親が子供を殺すなどとは、とても想像できないと、
犯罪を犯したものを批判しますが、お経には、多くの
人々が自分の犯した罪に気づかずに生きていることを
何度も何度も繰り返し、説いていただいています。

 『大無量寿経』には、「世間の人々の心はみな同じで
ある。

道理が分からず愚かでありながら,自分は智慧があると
思っているのであって、人がどこからこの世に生まれて
きたか、死ねばどこへ行くかということを知らない。

また思いやりに欠け、人のいうことにも耳を貸さない。

このように道にはずれたものでありながら、得られる
はずもない幸福を望み、長生きしたいと思っている。

しかし、やがては必ず死ぬのである。

それを哀れに思って教え諭し、善い心を起させようと
して、生死・善悪の因果の道理が厳然としてあることを
説き示すのであるが、これを信じようとしない。

どれほど懇切丁寧に語り聞かせても、それらの人には
何の役にもたたず、心のとびらを固く閉ざして、少しも
智慧の眼を開こうとしない」 とお釈迦さまは、このように
説いておられます。

自分の行為で作った沢山の原因で、自分自身が
わざわいをもたらされ、苦しまねばならないことを、
だれも気づかずにいる。

そうしたこのわたしの為に、南無阿弥陀仏の名号を
与えて、浄土に往生させようと誓われたのが、
阿弥陀如来の願いです。

ところで、先日、修験者の厳しい修行の模様をテレビで
みましたが、その修行の目的を聞いていると、自分自身の
心の平安のため、自分の健康のため、商売繁昌のためなどと、
どれもこれも自分の為に努力しておられるように
見えました。

日頃善く修行が足りないなどと聞きますが、修行して
得られるものと、南無阿弥陀仏で仏の仲間にしようと
されるのとでは、目的が大きく違うことに気づきます。

自分の幸せのためだけでではなく、すべての人を
救おうという、阿弥陀如来と同じ目的を持つ、仏の仲間
になるのとではまるで違います。

そのことに気づくと、人生の意味が、生きる意味がまるで
違ってきます。

やがてお浄土に生まれる自分だと味わうと、自分自身の
幸せだけを願っていきているこれまでの生活と,仏の
仲間としての人生とでは、まるで違うことに
気づかされ、新しい生き方ができるのです。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、9月16日に新しい内容に変わります。