「 入 」 の意味
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
佐賀教区内では、今、巡番報恩講の季節です。
その法座でこんなお話を聞きました。
毎日お勤めする正信偈の中に、
とても多く使われている漢字があります。
海という言葉もその一つですが、
「 入る 」、 はいるとニューと言う言葉も
たくさん使われています。
この入るという言葉には、
三つの意味があります。
一つは、浄土に生まれさせるという、お浄土へ入るという意味。
二つは、仏様の仲間になる。仏の仲間に入る、という意味。
三つ目が、仏様がこの迷いの世界に来て、
迷いの衆生を、救われるという意味です。
親鸞聖人が特に強調されているのは、
お互いが現に今、生きている現生(この世)で
信心をいただいた、そのときに、仏となることが間違いないと、
決定した位につくということ。仏の仲間になると言うことです。
つまり正定聚不退転をえることは、信心を得た
その瞬間であることを、お経の中から読み取られています。
それは、人間のこの私が努力することで
得られるものではなく、阿弥陀如来の本願力によるものであると
受け取られています。
信心を得たそのとき、正定聚不退転の位に入る、
この世の利益と、
やがて命が終われば、浄土に生まれて、
仏になるという来世の利益を得ることができますから、
こんな幸せなことはないと、
阿弥陀仏の本願力に感謝しておられます。
その恩に報いる、そういう思いが、
これからの信心の生活の全内容となっていくのです。
ところが、私たちは正定聚不退転の位とか、
仏様の仲間にしていただいたと聞いても、あまりうれしくありません。
私たちが好きなのは、健康の話をする仲間だったり、
遊びの仲間だったり、旅行の仲間、
金儲けの話をする仲間、
自分の欲望を満たしてくれる仲間、
自分の思いどおりになる仲間が大好きです。
しかし、この世での最も大きな喜びは、
仏の仲間にしていただくことだと、親鸞聖人は味わっておられます。
この世で、生きている間に、仏の仲間にして
いただくということは、どんなことなのか、
南無阿弥陀仏のお念仏を口にし、耳に聞きながら、
親鸞聖人が、なかなか遇えないものに今遇えたと喜びばれた、
喜びを、この私も味わわせていただきたいものです。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、4月16日に新しい内容に変わります。
( 平成10年 4月9日〜 第272回 )