これもご報謝
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浄土真宗では、ご示談といってお念仏の教えで疑問の点や、
分からない所があると質問し、お答えいただく法座があります。
その内容を記録したものの一つを、見せてもらいました。
大阪の利井鮮妙という西本願寺の総長もなさった
明治時代の方の記録です。
「 毎月怠りなく法話会は開いているが、
いつもこちらから話すばかりで、聞く方は皆聞き流しとなっている。
これではどうも本当の法義は味会え、にくいように思われたので、
今日は一人ずつその心の中を打ち明けて、不審があるのは質問していき、
誤りのあるものは直していこうと思う。
病院に行っても様態を言わないと薬は貰えない。
まして後生の一大事、尋ねた上にも尋ねて、天がくずれても
地が裂けても微塵の危ぶみもないと所まで、確かめておかないでは
一大事である。
真宗の易行往生の大道はいかなるものであるか
親鸞聖人も蓮如上人も、火を見るよりも明らかに
お説きなっているのに、その大道を隠そうする者があるから、
その雑草を引き捨てて、元の大道を現そうとするのである。
もし、医者の前で恥ずかしくて隠しておいては
一生治るためしはない。
一時の恥じらいは、この一大事に比べたら、ものの数ではない。
そこで、まず、最初の方から、味わいを述べてみなさい。
私は、もう60歳を過ぎた田舎の老人ですが、無学文盲で一向、
利巧に申し述べられませんが、ただただこのまま如来の御助けに
あずかると思うとうれしゅうてうれしゅうて、たまりません。
そんなにうれしいとは結構なことですが、どうして報謝を
つとめておられる。
暇さえあればお念仏を称えさせて貰います。
それだけなのか。
ハイ、朝夕お勤めやお給仕をさせていただきます。
ただそれだけか、もう他にないのか。
返事がないので、鮮妙は、
一体これまで、何を聞いていたのだろう。
この度の一大事の後生を、やすやす御助けあずかったのであるから、
その御恩の程を思ったら、年がら年中商売も止め、仕事も止めて、
朝から晩まで、称名供養読経等の報謝にのみつとめて
いなければならないのであるが、
我真宗は、職業であるならば、猟漁をもせよ商い奉公をもせよ、
家にいるままでよい、欲のあるままでよい、そのまま必ず救うてやる。
そのかわり日常の生活も報謝の内であると心得て勉強せよと言うのが
真宗のたて方である。
それゆえ、農業の人は、鍬の一打ち大工の方は槌のひと打ちにも、
これ皆報謝の内である。こうなってこそ、われわれは称名や
読経の短い間のみではなく、朝起きてから晩休むまで、
実に報謝のしどおしと成るのである。
これもご報謝、これもご報謝と仕事をするので、
一つ一つの仕事に誠がこもってくるのである。
利井鮮妙和上は、報恩感謝の生活をこのように教えていただいています。
小さな仕事も、大きな仕事も、どんなつまらないことでも、お念仏とともに、
御恩報謝であるとの生活をさせて貰いたいものです。
妙念寺電話サービス、次回は、1月29日に新しい内容に変わります。
( 平成10年 1月 22日〜 第261回
)