なつかしい響き

妙念寺電話サービスです。お電話ありがとうございます。

親鸞聖人は、今から、およそ800年ほど前の

1173年にお生まれになり、

90年の生涯を通して、お念仏の教えを、

私たちに伝えていただきました。


その後、親鸞聖人のご子孫が法灯を伝承され、

私たちの教団を統一していただいています。


来年、500回遠忌を迎える蓮如上人は、第八代のご門主でした。

現在の御門主は、第24代、大谷光真門主、即如上人であります。

私たちは、御門主さまご門主さまと親しく、お呼びしています。


今回は、大谷光真ご門主さまが、本山で発行している

「一語法話」というパンフレットの、ちょうど50号目の節目に

あたりますので、それを記念して、「なつかしい響き」という文章を

お書きいただきましたので、ご紹介します。


「なつかしい響き」



 「キミョームリョージュニョライ」(帰命無量寿如来)という

「正信偈」のお勤めの声に、何を思い起こされるでしょうか。

日ごろお寺にあまりご縁のない方でも、ふるさとや、ご法事の席に

連なったなつかしい方々を思い出されるのではないでしょうか。

五百年あまり前、浄土真宗の輪を大きく拡げられた蓮如上人は、

日々のお勤めに「正信偈」と「和讚」を採用されました。


そのために、「正信偈」と「和讚」を四帖に編集して出版されました。

おとなも子どもも、お念仏と共に「正信偈」と「和讚」を耳にし、

口にして、暮らすことには、まことに大きな意味があります。



 知らず知らず、阿弥陀如来さまのおこころが染み込むからです。

ふるさとや幼なじみが理屈ではなく、なつかしいように。

一方、浄土真宗は聴聞がかなめです。


仏法は聞かねばわかりません。大きな事件や災害があると、

「神も仏もあるものか」という声が聞かれます。


それは仏法を聞いていない人の声なのです。

そこには、自分が災難に遭わないようにしてくれるのが、

神や仏であるという、先入観があります。


仏法を聞くと、我執我欲で物事を判断している私であると、

知らされると同時に、そんな私を心配し、常に離れず、

喚びつづけていて下さるのが、

阿弥陀如来さまであると気付かされ、南無阿弥陀仏と、

お念仏が口に出ます。


帰命無量寿如来は、南無阿弥陀仏の中国語訳であり、

現代日本語では「光といのち限りない如来さまに帰依します。

したがいます 」 となります。


第24代の西本願寺の御門主は、このように書いていただいて

います。

来年、平成10年は蓮如上人の500回遠忌、蓮如上人が

お勧めいただいた通り、正信偈とご和讚のお勤めを

毎日させていただき、親鸞聖人が真実の教えと言われる、

お念仏の教えの喜びを味わわさせていただきたいものです。

妙念寺電話サービス、お電話ありがとうございました。

次回は、11月6日に新しい内容に変わります。                            

                         ( 平成 9年10月30日〜 第249回 )