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イギリスのダイアナ妃の突然の死に国民上げての
盛大なお葬式の様子を、テレビでご覧になった方も多いと思います。
 
同じ時期に、こちらはインドで活躍されたマザーテレサさんも
亡くなられました。、一生涯を人びとの救済活動に務められ、
ノーベル賞も受賞された、マザーテレサさんの死にも、
世界の多くの人びとが悲しんでいます。
 
ダイアナさんも、マザーテレサさんの影響を強く受けて、
ボランティア活動を始められたようにも聞きます。
 
ところで、ダイアナさんの母親が、談話を発表し、
神様から預かっていたダイアナを神様にお返ししますと
言う表現をとっているのを聞きました。
 
キリスト教では、神の国から来て働き、そして、神の国に帰る
という事を言うのでしょうか。
 
この言葉を聞いて日本でも、戦争中に同じような表現を
とっていたようにも思います。
若い青年が戦争で亡くなったときに、神の国に返られたとか、
神の国に行かれたという表現をとっていたようにも思います。
 
また、神父さんの言葉、「神と国王と国民の関係」を聞いていますと、
戦争中の天照大神と天皇と国民の関係に非常に近い気がします。
 
戦前の日本の神道は、イギリス国教を手本にしていたように思えます。
 
ところで、私たちの浄土真宗では、亡くなった方が
お浄土へ帰られることを、還浄という言葉を使うことがあります。
お浄土に帰るられる、還浄(げんじょう)。
 
親鸞聖人はご和讚で、お師匠さまの法然上人がお浄土に
お帰りになった、浄土に還帰されたと、いう言葉で、
讃嘆しておられます。
 
そこで福岡地方などでは、家族のどなたかが亡くなられると
玄関に、還浄という張り紙をなさるところがあります。
それは、親鸞聖人が味あわれたように、亡くなられたあの方のお蔭で、
お念仏の教えに出会えました。
 
きっとあの方は、ただの人ではなく、お浄土から来られた還相の
菩薩様ではなかったのか。
その菩薩様が、この私に念仏を伝え、お浄土にお帰りになったに
違いないという、味わいなのでしょう。
 
亡くなられたその方のお蔭で、お念仏に出会えた喜びから、
あの方は、私にとっては、還相の菩薩様でしたとの味わいです。
しかし、生き残った私が、何の変化もなく何の喜びもなく、
まったく昨日と変わらない、自分の欲望だけを満たしたいと、
 
あくせくとした生活をしているとしたら、亡くなられたその方が

菩薩様で
あっても、命をかけた折角の教えも、この私は気づかずに、
聞くことが出来ず、今回もむなしい人生を送って、
また迷いの世界に帰ることになるのです。
 
もし、お念仏に出会い、やがて阿弥陀如来と同じさとりを
開かせていただき、いまこのままで仏様の仲間であると
味わえたとき、わがままな自己中心の生活から転じられて、
私の周りの悩み苦しむ多くの人のお役に立てればと、
じっとしてはおれない積極的な人生に変わって来るのでしょう。
 
既に仏様の仲間にして頂いたことの報恩の思いからの行動は、
報恩の行であり、雑行ではなく、念仏者としてじっとしておれない、
やらずにはおけない、また頼まれもしないのにやってしまったと、
社会参加することであろうと思います。
 
ヨーロッパでいうボランチィアと同じ行動に見えるかもしれませんが、
同情ではなく、慈善でもない。報恩の行動を取ってしまうのでしょう。
 
マザーテレサさんの活動と比べると、我々のやれることは
ほんの小さなことかもしれませんが。
自分で出来る小さなことを、報恩の思いから実行したいものです。
お念仏の声とともに積極的に生活させて頂きたいものです。
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次回は、9月18日に新しい内容に変わります。
 
                      ( 平成 9年 9月11日〜 第242回 )