ひとり来て ひとり去る
 
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
このところ、仏説無量寿経の内容を、お話していますが、
こんなところもあります。
 
「 人は、世間の情にとらわれて生活しているが、
結局、独りで生まれて、独りで死に、
独りで来て、独りで去るのである。
 
すなわち、それぞれの行いによって、苦しい世界や、
楽しい世界に生まれていく。
 
すべては、自分が、それにあたるのであって、
誰も代わってくれるものはない。
 
善い行いをしたものは、楽しい世界に生まれ、
悪い行いをしたものは、苦しい世界に生まれるというように、
おのおのその行く先が異なっており、
厳然とした因果の道理によって、ただ独り生まれて行くのである。
 
そして、遠く別の世界にいってしまえば、
もうめぐりあうことはできない。
 
それぞれ善悪の行いにしたがって生まれていくのである。
 
行く先は、遠くてよく見えず、永久に別れ別れとなり、
行く道が同じではないから、まず出会うことはない。
 
ふたたび会うことなど、
まことに、むずかしい限りである。」
 
 と説かれています。
 
そして、こうした苦しみの世界にしか行けない、
私たちのことを知りつくして、
法蔵菩薩は、四十八の願いを立てられ、
念仏往生の道を完成していただきました。
 
 
 
 「 すべての人々は、無量寿仏の名号のいわれを聞いて、
信じ喜ぶ心がおこるとき、それは無量寿仏が
まことの心をもって、お与えになったものであるから、
無量寿仏の国に生まれたいと願う、
たちどころに往生する身に定まり、
不退転の位に至るのである。
 
ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれる。」と
あります。
 
阿弥陀如来の願いのいわれを、聞き開けば、
仏の国に生まれさせていただき、仏様と同じさとりを開かせ、
自分中心の心しかなかったこの私に、仏さまと同じ力を与えて、
仏様と一緒になって、働かさせていただくのです。
 
ただ、この世にいる間は、仏さまのように、
他の人の悩み苦しみを、取り除くことなどとてもできませんし、
自分自身の問題も解決することが出来ませんが、
 
与えられたお念仏をしながら、仏様の働きの見習って、
出来ることから、どんな小さなことでも、
やらせていただく、毎日を送らせていただたいものです。
 
お念仏することで、こうした力を与えていただけるのです。
妙念寺電話サービス、次回は、6月5日に新しい内容に変わります。
 
 
                      ( 平成 9年 5月29日〜 第227回 )