こんな弔辞を聞きました。

      
84歳のおじいちゃんを亡くされた、26歳のお孫さんの言葉です。
飾らず素直な気持ちを語りかけられ、こんなやさしいお孫さんを
育てたこのおじいちゃんは、とてもすばらしい人だったと知らされました。

是非、みなさんも一度お読みください。
そして、こうした弔辞を読んで貰える
おじいちゃん、おばあちゃんを目指したいものです。


弔辞

じいちゃんへ

 84年間、ごくろうさまでした。じいちゃん 楽しかったね。
オイは、じいちゃんの人生の中で、たった26年しか、いっしょじゃ
なかったけど、十分過ぎるくらい、かわいがってもらったと思っているバイ。

小さい時は、毎日のように佐賀神社に、ハトを観につれていってくれ、
小学校、中学校の時は、忘れ物を学校まで持ってきてくれよったね。
ありがとう

じいちゃんは、いつも自転車に乗って、佐賀の町をウロウロ、
佐賀球場まで高校野球をみにいったり、スーパーに
買い物にいきよったネ。

買物は、朝から広告に、ばあちゃんと二人で仲良く買ってくる物に
印をつけて、買物に行き、帰ってきてみると、今度はじいちゃんが
たのまれていない、自分の好物を買ってきては、ばあちゃんに
怒られて、よく二人でけんかしよったネ。

 でもね、じいちゃんが自転車で買物に行かなくなって数年経つけど
働くのがすきやったじいちゃんは、朝も早くから、店の割り箸を
ぎょうぎょうにつめて、裏のビールの空きビンを、整理しておしぼりの
補充とか、体の動くときは、一時も、ようしとかんやったもんネ。

朝のよわいうちの家族を心配して「大輔はおきたか」
 「麻子は、二階から降りてきとっか」、「朝のドラマ始まったゾー」と、
うるさいくらいにゆうてくいよったもんネ。

明日から、その声がきけないと思うと、むちゃくちゃさみしいけど、
朝はがんばって起きるから、心配せんで、よかよ。

 
じいちゃん、ばあちゃんのこと、大好きやったろ、二人でよくけんか
しよったけど
ばあちゃんが入院して家におらん時も「ヤエコはどがんかー」て、
いいよったもんね。
ばあちゃんが家に帰ってきた時も、口には出さんけど顔の
ニヤついとったもんネ。

じいちゃんとばあちゃん、二人でこたつに座ってテレビみて、ごはんたべて、
背中さすってもらいよる姿みとったら、ばあちゃんも絶対、じいちゃんのこと
大好きやったはずよ。

オイがゆうのも、なんなんだけど、かわいい、お似合いの二人やったよ。
じいちゃんは多分ばありゃんこと、一番心配してると思うけど、おいもいるし、
母ちゃんも、父ちゃんも、おばちゃんたちも、みんなおるし、じいちゃんが
一番しっていると思うけど、ばあちゃんは、しっかりしとっけがね、
心配性のじいちゃんに心配すんなといっても
あんまり無理だろうから、心配しすぎないようにしとかんばよ。


 じいちゃん、一つだけあやまらんばことがあるから、言うね。
2ヶ月ぐらい前に、じいちゃんの背中さすっとる時に「早よ、嫁さんつれてきて
、ひ孫をみせんか」ていわれて、ああ、2〜3年まっとかんね、みせてやっけん
といったけど、じいちゃん、みせれんかったね。ゴメン。

オイは、子供をじいちゃんに「佐賀神社にハトをみにつれていってもらうよ」て
いいよったけど、できんやったね。
本当に、ごめん。

じいちゃん、家族、親戚、みんなじいちゃんの体のこと心配しとったけど、
特に、ばあちゃんとうちの母ちゃんは、じいいちゃんとけんかしながら、朝から
晩まで、面倒みとったけん、二人にはいっぱい感謝して、お浄土にいかんと
いかんよ。絶対バイ。

じいちゃん、もうどこもかゆーなかし、背中も足もいとうなかろうけんよかったね。
何の心配