第1271回 一緒性

 
平成29年 6月 8日~

  浄土真宗の本願寺派で、毎月発行の「宗報」の中に、こんな報告の文章がありました。
第五回「宗門教学会議」の内容を紹介されたもので、

その一部を要約しますと。 

 これまで「御同朋」「御同行」という言葉で、念仏者の基本的な姿勢を
示してきましたが、この度、その精神を受け継いで、「一緒性」という言葉を
新たに作り、「大乗仏教の精神」を、表してみることにしました。

言うまでもなく、浄土真宗は「大乗仏教」の流れをくんでいます。
「大乗仏教」では「慈悲」や「利他性」を重視します。
これを現代風にいえば、「人のために生き、人と共に生きる」ということに
なるのではないでしょうか。
「一緒性」という用語は、それを端的に示したものです。

人間関係の希薄化が進む社会において、新たな絆や相互の繋がりを
回復させる意味として、あるいは国内外に顕在化する社会問題と、僧侶や寺院が
隔絶しないことを含意する言葉として、「一緒性」という言葉には、大切な意味を
含んでいると考えています。


「御同朋」「御同行」という伝統的な言葉も大切ですが、宗門外部の方を
はじめ、ご門徒であっても今は少々わかりにくいもの、まして一般の人たちには
伝わりません。

〇年後、二〇年後の未来を見据えるのであれば、「わかりやすさ」は
絶対不可欠な条件だろうと考えます。


 親鸞聖人は 浄土真宗を「大乗のなかの至極なり」と示されています。
にもかかわらず、過去の宗門では「安心はおのれ一人のしのぎの問題」
ということに集約しすぎたきらいがあります。

つまり、ご法義を個人の専有物のように捉える傾向が強いのです。

「個の救い」に終始する態度は、自分以外の人びとと人生を「共に」
歩んでいくことを大切にする大乗の精神に全く反しています。

また、専門用語を使うことは、一般の方には通用しません。
専門用語を使わずに、一般的な普通の言葉で伝道すること、仏教の
専門用語を現在の言葉に翻訳することが重要です。


そもそも、仏教の歴史とは「翻訳の歴史」です。翻訳によって仏法は世界に
広がっていきました。
専門用語によって、ご法義を一部の人間の専有物にするのではなく、あらゆる

人に開かれた、「公共性」のある立場で広くご法義を伝えることが重要です。

    宗報 29,5月号 人のために生き、人と共に生きる「一緒性」


          


           私も一言(伝言板)