第1247回 老苦の解決

平成28年 12月22日〜

 悩み事の相談に 僧侶が回答するインターネットのページがあります。
その中に、こんな質問がありました。

 最近 親たちが、2人とも足腰が弱くなり、体力の衰えが目立ちます。
親の老いを実感して、言い知れぬ不安感に襲われています。

こんな気持ちを どう持っていけば、良いでしょう? との質問です。

これに対して、ある僧侶の方は

父を10年前に亡くし、母は健在ですが、加齢による変化も出て
自分が子どもの頃の、元気ハツラツな母の姿を見られないのがとても寂しいものです。

僧侶ですので、高齢の方と接することが多く、またカウンセリングを
学んだこともあり、注意していることがあります。
「年配者が、物忘れや失敗をしても、責めずに受け止めること」
「同じ話を何度も繰り返しも、耳を傾けること」
主にこの2点に気をつけています、これだけでも、母は私と接する時に
安心してくれているように感じます。

思い出すと幼い時、私が忘れて失敗しても、母は、許してくれました。
小さい私が何度も同じことを聞いても、繰り返し答えてくれました。
返しきれませんが、少しでもご恩返しをしたいと思っています。

金子みすゞさんの詩に、「ばあやのお話」というのがあります。

 ばあやのお話
ばあやはあれきり話さない、あのおはなしは、好きだのに、
「もうきいたよ」といつたとき、ずゐぶんさびしい顔してた。
ばあやの瞳(め)には、草山の、野茨のはなが映つてた。
あのおはなしがなつかしい、もしも話してくれるなら、
五度も、十度も、おとなしく、だまつて聞いてゐようもの。


また、ある僧侶の方は

老いに対するネガティブな、暗いイメージを捨てましょう
上手に年をとっていくのは 円熟と捉えるべきではないでしょうか。
老と言う言葉には、老師、家老、老舗、大老…など、経験豊かな良い意味もあります。

体が病気でも、心が病気でない人は、豊かで健全です。
体が健康でも、心を病めば、不健康です。
上手に老いを楽しむことが大事です。とあります。


 私たちが、これまで学んで来た知識・常識では、老いる淋しさ、悲しさ、苦しさは、
科学や医学がどんなに進歩しても、抜本的な解決は出来ないようです。

ご先祖や、多くの先輩たちが勧めていただく仏教的な価値観に遇うことで
それは完全に解決出来るものです。

お釈迦さまが説かれた教えの中から、その解決法を発見し、伝えていただいたのが、
お念仏の教えを説かれた親鸞聖人です。

南無阿弥陀仏の価値観に遇えば、現在も、そして将来も、老病死の
苦悩を乗り越えることのできる力を与えられます。

南無阿弥陀仏の教えによって、南無阿弥陀仏を口にする生活をはじめると、
生老病死の四つの苦しみを乗り越えることが出来るのです。



         


           私も一言(伝言板)