第1188回 「自分探し」に惑わされない

 平成27年 11月 5日〜

「自分探し」という言葉は、いつごろから使われだしたのでしょうか。
少なくとも、私の若いころには使わなかったように思います。

 この言葉には、「今の自分はほんとうの自分ではない」という焦り
に似た思いと、「どこかにもっと素晴らしいほんとうの自分があるは
ずだ」という願望とが込められているのではないかと感じます。

しか
し、探して見つかるような「自分」が、今の自分のほかに
あるのでし
ょうか。
「自分」とは、何かに取り組んで成長し、人生を充実させて

いく過程そのものではないかと思います。

焦って「今」を否定したり、
「今」以外のどこかに「自分」を
探して迷うより、「今」にしっかりと
向き合うことが大切なのです。

 「自分探し」という言葉が出てきた理由は、社会や親から「自分ら
しさを持て」「自分の個性を出せ」と言われつづけ、そうした
プレッシヤーになんとか応えなければとする若い人の反応なのかも
しれません。

しかし、「自分の個性を出せ」と言う同じ口で、親も社会も
「目立つことをするとみなから嫌われるからよしなさい」と没個性を
要求するのですから矛盾しています。

 ある小学校で、「みんなちがって、みんないい。」という
金子みすずさんの詩の言葉を各クラスに貼ることになりました。

それぞれの個性を尊重しましょうというわけです。
ところが、どのクラスでも、教室の同じ場所、同じ位置に、
その詩は貼ってあったそうです。

みんな違っていいのなら、それぞれ好きなところに貼れば
よさそうなものなのに、どの教室も寸分違わない場所に貼って
あったというのです。


 私はこの記事を読んで、思わず笑ってしまいました。
その学校では、「みんなちがって、みんないい。」と、
いかにも生徒たち一人ひとりの個性を認めるかのようなふりをして、
実際にやっているのは、「詩はここに貼りなさい」と型にはめる
ことだったからです。


「自分」などというものは常に流動的で、今の自分はこうだと言え
ても、次の日はまた違った面が出てきてもおかしくありません。

「自分はこうだ」とあまり固定的にとらえず、また、「自分探し」
などという言葉に影響されずに生きたほうがよいように思います。


    株式会社PHP研究所発行 「人生は価値ある一瞬」より


         


           私も一言(伝言板)