縄文人は「ズーズー弁」を話していた

1.「ズーズー弁」の分布
 「ズーズー弁」というのはちゃんとした方言学の用語だそうである。「ズーズー弁」では、母音イ・ウを含む音節が互いに紛れやすく、母音イがエに近く発音される。そのため、スシがススのように聞こえ、シジミがスズメに聞こえてしまう場合もある。
 さて、「ズーズー弁」といえば
東北方言をまず思い浮かべるが、新潟県の越後弁や、「ズーズー弁」をトリックにした小説『砂の器』で有名な島根県出雲地方の「出雲弁」(雲伯方言)などもある。また、富山や石川は栃木や茨城の一部と同様、中間型のズーズー弁ということになっている。
 出雲弁はまわりの方言とはまったく違っており「ズーズー弁」の孤島である。名古屋と三重県や滋賀県が隣接県なのに言葉は全然違うというのに似ているかもしれない。何故、出雲に「ズーズー弁」なのか。

2.「ズーズー弁」は古代音
 
「ズーズー弁」が日本の古代音であるとの説がある。すなわち、古代には日本全国これを用いていたが、都会に軽快な語音が発達し広がるにしたがい、ズーズー弁の区域は逐次減少し、残された区域が出雲・越後・奥羽地方の辺鄙な所のみになったというのだ。筆者はおおむねこの説を支持するものだが、縄文人の言語が「ズーズー弁」であり、弥生人の侵攻によってその区域が減少したとみたい。

3.「ズーズー弁」と出雲の神
 出雲といえば出雲大社、出雲大社といえば大国主命である。神仏習合によれば大国主は大黒様であり大黒様の相棒といえば恵比寿様である。恵比寿は則ち夷である。夷をただ単に「外国」「海の向こう」などととらえる見方もあるようだが、夷とは本来異民族をいうのであり「東夷(あずまえびす)」の語で知られるごとく蝦夷を指すと考えるのが素直であろう。出雲には恵比寿様(事代主)を祀る神社「美保神社」がある。出雲神様である事代主神が「えびす」神として祀られることは注意すべきことで、素戔嗚尊も、「鬚が長く、乱暴である」という後世の人々が蝦夷に対していだいた性格がこの神様にあらわれている。これは尊が高志(こし)の八岐大蛇を平げられた伝説とも相俟ってなにがしか示唆的である。高志は越で、越人は蝦夷である。
 しかも「出雲の国風土記」では大国主は越の国を従えたとされている。また、『越中一ノ宮伝記』によると、昔、越の国に悪者が大勢住みついて人々を苦しめたので、大国主命が出雲からはるばる来て、越中国三津ケ峰に戦陣を張って悪者を撫育したという。悪者とは蝦夷のことと思われるが、越の国は歴史時代に入っても蝦夷の国である。東北地方は言うまでもなく蝦夷の国である。そしてそこにはズーズー弁が今なお話されているのである。

4.「ズーズー弁」が出雲に残った訳
 素戔嗚尊、大国主命と出雲の支配者は代々蝦夷を従え、ついに蝦夷の首領となったのではないか。そしてついに夷神として祀られるようになったのではないか。そして越の国の蝦夷は大国主の配下として出雲に多く住んでいたのではないかと推測できる。あるいは、大国主が縄文の系譜をひくと思われる「国津神」であることから、弥生人の侵攻に最後まで抗した縄文の系譜をひく人たちが濃厚であった出雲にズーズー弁が残ったとも考えられる。いずれにしても、
筆者は、縄文人の末裔が多く住む地域に「ズーズー弁」が残ったのだと結論するものである。



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